煩悩の犬は追えども去らず
燃え上がって、燃え尽きて、灰になって、風が吹いて、暗闇に吸い込まれて、消え入ってしまうものがみたい。
掌の中で、崩れて、砂になって、零れて、おちていくものがみたい。
最期の一滴が、弱弱しく震え、乾き、周りの空気とおなじになるものがみたい。
もしかしたら、あるいは、もうすぐ、みれるときがくるのかもしれない。
もしかしたら、あるいは、もうすぐ、みられるときがくるのかもしれない。
意味のない賭け。
今まででいちばん眩しい、目の潰れるような光が、脳髄までつらぬいて、
かたちあるものを、ボロボロと崩れ去る、砂・埃へと変えて、
ただそれを、壁面に、網膜に、脳裡に、焼き付く影に、うつしてしまう。
人という物の怪の営為の結晶、文化・文明・かたちあるもの、すべてが、眩しい無数の光によって、塗り潰され、暗く冷たく焦げ臭く乾いた黒い影になる。
影の淵を指でなぞれば、そのかたちを思い起こすことができるのだろうか。
文化・文明、それは形あるものではない。
いろいろの建築、絵画、彫刻、そのたもろもろの物品、果てはその様式にいたるまで…
そのものたちは、文化・文明そのものではない。
文化・文明は、そのものたちを作り上げた/作り上げる「力」なのだ。
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外で虫が鳴いている。
目に見えないがきれいな音だ。
今まさに鳴いている声、初めて聞く音色なのに、
いつかどこかで聞いたことがあるような、安らぎを感じさせる。
音の影は音と音の間に落とされる音なのか。
ぴたりとついてくる影は追い越すこともひきはなすこともできず、
ときには、影に私がぴたりとついていく。
とうぜん、追い越すこともひきはなすこともできない。
ときに私の影は私より大きくなり、私より小さくなり、
ときに私は私の影より大きくなり、影より小さくなる。
そこにかたちはあるのだろうか。